世界一大切な、私の他人。

西畑大吾くん。 『あなたに出会うまでは私 ねえ、どんな顔をして生きてきたんだっけ?』

24歳ジャニオタ、脳腫瘍になる。

 

24歳で、医者の卵。

あとなにわ男子の西畑大吾くんが好きです。

 

自分が何者であるかを名乗るのに、
これ以上言えることがない。

 

そんな私が脳腫瘍と診断されました。

 

 

 

経験がある人や医療関係のお仕事の人は分かると思うけど

こういう大きな病気って、見つかってから診断がつくまでに

それなりの時間がかかります。

 

私の場合は病気が病気だったのですぐに大学病院に紹介されて

検査も緊急でぶち込んでもらえたけれど、

それでも最初にCTで腫瘍が見つかってから最終的な診断まで

1週間ちょっとかかりました。

 

余白だらけなんです。

 

クリニックからの帰り道、病院の待ち時間、MRIを撮っている間、

若い患者を珍しがる視線をかいくぐって病院内を歩く時、

そして毎日当たり前のようにやってくる夜。

 

私はそのどの時間でも悲しめなかった。

それが一番悲しかった。

 

これはオタクとしてしか生きてこなかった私が、

初めて自分の人生と向き合った、1週間の「余白」の中身と結末です。

 

 

…病気はしてなくても、似たような人、
いるんじゃないかな。いて欲しいな。

そんなことを思いながら綴ります。

 

自分の心の整理もかねて書いているけれど
最後まで読んでくれたらとても嬉しい。

 

 

 

元々、自分の人生に興味がありませんでした。

初めて気づいたのは幼稚園の時かな?

「目が覚めたらこれまでの人生全部誰かの夢で、
『あー夢か』とだけ思って、勝手に歩き出してくれる」

そんな事を思いながら眠った夜がいくつもありました。

 

何かに絶望しているわけではありません。

だから終わらせる理由もなかった。

 

「続くからそのままにしてきた」、まさにそんな人生でした。

 

 

そんな私が昔から生粋のオタクだったのは、まるで卵が先か鶏が先かの話。

 

自分の人生に興味がないから、

創作物やアイドルのような「他者の人生」にのめり込んだのか、

はたまたその逆だったのか。

 

なんにせよオタクでいたおかげで、

周りから見た私はずっと、「熱量のある人」だったと思います。

 

でも本質は昔から変わっていないんです。

きっとずっと、中身なんてなかった。

いや、中身から目をそらしてた?

24年間、ずっと?

 

…この時点で既に、ブログがどのような方向に向かいどう着地するのか、

なんとなく予想がつく方も多いと思います。

 

誤解してもらいたくないので先に弁解しておくと、

自分の今までのオタ活を否定したいわけではありません。

興味がなかったはずの自分の人生を24年間楽しく過ごせてきたのは、

間違いなく趣味のおかげです。

実際オタ活を通して視野が広くなりました。

共通の趣味で仲良くなった友人もいます。

 

そして何より

自担である西畑君を見つけることができて本当に良かったと、

心から思っています。

 

 

でもここで話は戻るのです。

私は自分の人生に影を落とした「終わりの色」を悲しむことができなかった。

それは無視していいことなのか?

 

 

大学病院に辿り着くまでにクリニックともう1つ大きな病院に行ったのですが

そのどちらでも「まだ分からないからあんまり悪く考えないでね」と言われました。

 

「ありがとうございます」と答える私は、

無理して笑うけなげな患者にでも見えていたのでしょうか。

「絶望するのにも才能がいるのかな」。

そんなことをぼんやりと考えていただけだったんですが。

 

今まで明確に言葉にはしてこなかったけれど

「終わるなら終わるで、仕方がない」と、

本気でそう思っていたのです。

人生のどの時点でも、ずっとです。

 

それが空白の時間に生まれた思考の中で、

明確に形になってしまっただけ。

 

死んでほしくない人はいくらでもいるけれど

自分が死にたくない理由にはならない。

 

人生これからだからこそ

守るべきものもやり遂げるべきこともない。

 

これまでの人生で一番楽しかった時も一番苦しかった時も

「押すだけで痛みや苦しみなく自分の存在を無に帰すボタン」が

目の前にあったら押していたことでしょう。

 

人生に絶望しているわけではないと書いたけれど、違ったかもしれない。

これは静かな絶望なのかも。

奈落の底に突き落とされるようなものじゃなくて

足元から体温を奪われていくような。

「最初から体温なんてなかった」と、錯覚させるような。

 

誰だってそんなもんでしょ現代人。そうであってよ。

 

 

 

ああ、「卵が先か鶏が先か」の話。

私の「自分への関心のなさ」が先であってほしいですね。そうでなきゃね。

自分の人生の責任を他者、それも大好きなアイドルに押し付けるなんて、

そんなことあっちゃいけないのです。

 

「オタク」という隠れ蓑で生きてきた、やる気のない人生。

私が目をそらしていただけで、責任はいつだって自分にあったんです。

 

 

 

だからこそ、神様は私にとって一番つらい結末を与えたのかもしれません。

 

これでも医学生なので、カルテ画面に映るMRIを見ただけですぐに悟りました。

 

 

「私の人生は続く。

唯一の自慢だったある能力を、今より少し失った状態で」(※)

 

 

 

今、毎日泣いています。

「悪性かも」「余命宣告されるかも」という可能性があった1週間の余白では

1度も泣かなかったのに、です。

 

これまで興味のなかった人生を生きやすくしてくれた「大切な能力」(※)を失って、

私はしっかり歩いていけるでしょうか。

 

多分死を選ぶほどは辛くない。

でも今までのような「他人事」では、きっとやっていけない。

 

ちょっと意識を変えるだけで済む話かもしれない。

はたまた何か偉業を成し遂げないとだめかもしれない。

 

どうやったら自分の人生を大切にする感覚を持てるかのお話です

こればっかりは、これから生きてみないと分かりません。

 

 

でもこの文章を書きながら、少しだけワクワクしている自分もいます。

今も失う能力を諦めきれずに泣いているのに、変な話。

 

 

でもきっと何かが変わる気がする。変えていけますように。

そしていつか、自分の力で彩った人生で、また西畑君に会いに行けますように。

 

 

 

 

ここまで読んで下さった皆様、ありがとうございました。

どうかお身体を大切に。あと、なにわ男子はいいですよ。

 

※念のため少しぼかしました。腫瘍の詳細明かすつもりはありません。